ヨーロッパのデザイン運動と近代日本の工芸の展開<1900-1920s>―アーツ&クラフツ、アール・ヌーヴォー、アール・デコと日本―
木田 拓也(きだ たくや) さん
東京国立近代美術館 主任研究員(工芸課デザイン室長)
はじめに
本研究はヨーロッパのデザイン運動の日本の近代工芸への影響を探るものである。アーツ&クラフツ、アール・ヌーヴォー、アール・デコなどの日本への影響を表面的な類似点を比較するだけでなく、その根底にある思想や社会的背景を含めて考察することにより、日本の近代工芸の揺籃期に育まれた工芸の理念を探る。
研究の成果
美術と生活の融合をめざす総合芸術運動としてのアーツ&クラフツやアール・ヌーヴォーは、日本において、個人作家としての工芸制作の起点となった。パリ万博(1900)を機に渡欧した洋画家浅井忠は図案や工芸に高い関心を示すようになるが、ジャンルの枠組みを超えて「新しい芸術」として工芸の制作に取り組む浅井のような美術家の出現は、個人作家としての工芸家が登場する重要な契機となった。大正期の日本の工芸運動の根底には、「生命」と「生活」という二重の意味を帯びた「ライフ」という言葉があったが、それが総合芸術運動としてのヨーロッパのデザイン思潮を受け入れる土壌ともなった。富本憲吉の大正初期の制作活動には、モリスの思想への共感とともに、アーツ&クラフツ運動が示す生活と美術が一体となった理想的生活を実現しようとする姿が反映されている。また昭和初期、高村豊周(とよちか)ら「无型(むけい)」の工芸家が作り出した幾何学的形態の作品は「構成派風」と呼ばれ、アール・デコを模倣したものと捉えられたが、その根底にあったのは、第一次世界大戦後の復興期のヨーロッパと同様に、関東大震災後の復興期の東京が予感させる新しい都市生活だった。日本の工芸家は、ヨーロッパのデザイン運動の影響を受けながらも、日本人の生活のなかにその着地点を探り、近代工芸の理念を確立してきたのである。
なお、研究成果については、『日本のアール・ヌーヴォー1900―1923』展図録(東京国立近代美術館、2005年)、『アール・デコ展』図録(東京都美術館、2005年)、『近代日本デザイン史』(長田謙一・樋田豊郎・森仁史編、美学出版、2006年)に掲載した。
今後の展開
今後も工芸・デザイン制作の根底にある理念や社会的背景を探りながら、1930年代から50年代における欧米のデザイン運動と日本の工芸・デザインとの関係について研究し、考察を深めていきたい。