近代能楽堂の観客席空間に関する研究
-観客席の領域区分の形成過程に着目して-

辻 槙一郎 (つじ しんいちろう) さん

東京藝術大学 美術学部建築科 教育研究助手

研究概要・成果・評価

 本研究は、明治期から昭和初期にかけて建設された「能楽堂」と呼ばれる能楽専用施設を対象に、その観覧領域が有する領域区分の形成過程について明らかにすることを目的としている。本研究では、まず観覧領域の時代的変遷について、「枡」「桟敷」などと着席区画の導入背景を中心に考察した。着席区画の導入には複数の類型の組み合わせを中心とし、いずれかに統一するといった一定の傾向がみられなかったが、観覧領域における着席区画の最大占有率に着目すると、明治末期から大正期にかけては観覧重視の観覧領域を形作る類型を中心としていたのに対し、昭和期は個人席に特化したもの、そして集会・住居を目的とする兼用用途に特化した類型に分化していた。以上の現象を用途に着目して総括すると、明治期には観覧領域は「住む」ことを重視し、「観る」といった行為は付随的な要素であったが、明治末期から大正期になると「住む」行為の比重が低下し「観る」行為に限定するようになり、昭和期以降は一部の運営主体では再び兼用の用途も重視され、観覧あるいは兼用中心のいずれかに大きく分かれたとまとめられる。

 次に着席区画の配置傾向に視点を移し、領域区分の定型化、およびその背景について考察した。着席区画の配置基準には、人数規定の昇順・観覧の利便性・観覧人の性格・兼用用途の4つのパターンを確認した。一方、料金規定で定められた序列名称は、等級・着席区画のディテール・会員名称・領域区分名称の4種に分かれる傾向がみられた。これらの関係を統合し考察すると、「正面」・「脇正面」などの名称自体はある程度共通概念として存在する一方、序列の性格を必ずも統一していく傾向はみられず、それは各事例の会員制度を色濃く反映した結果によるものであった。しかし、宝生会能楽堂【1928】にみられた椅子席のグリッドに左右されない配置特性と複数名と個人それぞれの鑑賞の両者に対応可能というシステムの活用、そして階層の表象を必要とせず観覧のみを目的とする臨時会員の登場は、能舞台との位置関係に従った序列の整理の条件となる各領域区分の均質化をもたらし、領域区分の定型化に至ったことを指摘した。

 以上の傾向は、近世以前から存在する既存の着席区画の用途と歴史的文脈を柔軟に解釈した観覧領域の構成手法であり、従来の劇場の近代化の捉え方に新たな解釈をもたらすと考える。