ヴィーン男声合唱協会とシューベルト

山口 真季子(やまぐち まきこ) さん

大阪大学大学院文学研究科音楽研究室 助教代理

研究概要・成果・評価等

 本研究は、ヴィーン男声合唱協会の活動を通して、19世紀後半のシューベルト受容を考察しようとするものである。オーストリア最古の男声合唱協会である同協会は、早い段階からシューベルトの合唱曲を重要なレパートリーとするだけでなく、多くのシューベルト記念碑を建設し、生誕100年祭といった記念事業にも積極的に携わった。彼らの活動は、オーストリアの政治的状況を反映しながら、シューベルトの人物像や作品解釈に大きな影響を与えたと考えられる。
 オーストリア国立図書館では、ヴィーン男声合唱協会年次報告をもとに、同協会の活動の詳細を調査した。また、同協会の合唱指揮者であったヨハン・ヘルベック校訂のシューベルト合唱曲集にあたり、校訂内容を検討した。さらにヴィーン男声合唱協会の活動を取り上げた新聞記事を収集し、協会の活動に対する受けとめを調査した。
 年次報告は、各シーズンの行事報告、会計報告等、膨大なデータを含んでおり、これまで記念誌等において概略的にしか把握できていなかったヴィーン男声合唱協会の活動を綿密に跡付けるとともに、各シーズンの公開演奏会プログラムから、シューベルト作品の演奏状況を把握することができた。特に、男声合唱協会の一大事業であったヴィーン市立公園のシューベルト記念像建設(1872)の経緯からは、建設期間中、協会のシューベルト作品演奏の機会が増大していることをデータとして明らかにできた他、記念像に対し、親しい友人の記憶にある人間シューベルトを表現するという協会の意向の一方で、普墺戦争でのオーストリア敗北やドイツ帝国成立といった大きな政治変動を受けて、シューベルト像に様々な思惑が絡んだ状況を把握することができた。その一つは、シューベルトに優れた性質を認め、そこにオーストリアの自負をこめようとするものであり、それは記念像除幕式での演説などに見られた。他方、ドイツ語圏の合唱協会がその創設当時から持ち続けた「大ドイツ」思想を、ドイツとオーストリアの分断にあって精神面においてのみ保とうとするとき、シューベルト、およびシューベルトを擁護するヴィーン男声合唱協会に、オーストリア、ヴィーン代表としてドイツ芸術の一角を担うことが求められる。それは特に、シュトゥットガルトのリーダークランツが1878年シューベルトの胸像を制作し、その除幕式にヴィーン男声合唱協会を招待したときの報告から窺えた。
 さらに、ヘルベックのシューベルト合唱曲集校訂からは、細かなフレーズや曲想のまとまりが明確になるような指示の追加をはじめ、校訂の特徴を明らかにすることができた。ヴィーン男声合唱協会の演奏に対する批評からは、ニュアンスに富んだ「弱音」の魅力、演奏の正確さに対する称賛が多くみられ、ヘルベック版に見られたフレーズや曲想の変化に対する細やかな意識を、すべての合唱メンバーが共有していた証左のように思われる。またそうした演奏の特色が1885年ベルリン公演などでは、「ヴィーンらしさ」として捉えられたことが演奏会評から明らかとなった。
 以上の考察から、ヴィーン男声合唱協会の活動を通して、シューベルトの人物像、音楽の両方に対し、「ヴィーン」との強固な結びつきが形成される過程を示すことができた。