音楽はなぜ人間の感情を揺さぶるのか~音楽による情動の神経基盤~

石井 徹(いしい とおる) さん

京都大学大学院医学専攻博士課程(内科医)

研究概要・成果・評価等

 音楽は人間の感情を揺り動かす力をもっている。映画音楽等の分野ではBGMが情動認知に与える影響が様々な形で利用されており、臨床医学の分野では気分障害や脳血管障害後の患者リハビリ等における音楽療法の効果が注目されている。しかし、「音楽はどのように、なぜ人間の感情を動かすことができるのか」という根源的な問いについて、その神経基盤は未だほとんど解明されていない。脳機能イメージングの手法が盛んに用いられるようになり音楽による脳活動についても新たな知見が得られるようになったが、音楽と情動に関する脳科学研究は端緒についたばかりである。本研究では機能的磁気共鳴画像functionalMRI(fMRI)を用い、音楽による情動の神経基盤を探ることを目的とした。
MRI外での調査とMRI撮像の2段階に分け、各30人ずつの健康被験者を対象とした。MRI外において、被験者は先行研究(Krumhansl,1997 etc.)に基づいた30種類のクラシック音楽を聴取し、positive-negative,arousal-calmの2軸からなる平面上で、惹起される情動の連続的評価を行った。これによりhappy,sad,neutralに相当する部分を選定し、この過程で選んだ15曲を用い以下のfMRI研究を行った。(1)選定された曲を聞いた際の脳機能画像解析。被験者は3T MRIスキャナ内で12秒の間隔を置いて36秒間のブロックで提示される曲を聴取し、体験している情動をvery negativeからvery positiveの5段階で評価した。(2)情動変化を惹起することが知られている顔表情写真と、音楽の同時提示。情動を表現した顔写真の視覚提示と、その情動に一致する曲、不一致の曲を同時提示した際の脳活動を調べ、音楽が情動変化にもたらす影響及び他の刺激との相互作用に関する脳内機構探索を目的とした。happy,sad,neutralを表現した顔写真60枚(Gur et.al.,2002)を音楽ブロックの間にイベント関連デザインで提示、被験者は体験している情動を(1)と同様5段階で評価した。
行動実験では、背景の音楽と視覚提示される顔写真の情動カテゴリーが一致しているとき、不一致のときで情動評価が統計学的に有意な差を示した(p<0.05)。FMRI実験では、音楽単独の聴取で、happy,sad条件共に扁桃体、海馬傍回などの有意な活性化を認めた。また、顔写真と音楽を合わせて提示した条件ではこれらに加え腹内側前頭前野、背外側前頭前野など前頭葉領域の有意な活性化が見られた。前頭葉の活性化は不一致条件でより強い傾向が見られた。
以上の結果より、行動実験においては音楽による情動が他のmodalityにより引き起こされる情動認知に相互的な作用をもつことが確認された。FMRI実験の結果からは、音楽聴取が(それがhappy、sadのいずれに判断されるものであっても)「情動の脳」として知られる大脳辺縁系を活性化する力を持つことが示されると共に、前頭葉における認知的な情動判断を通しても我々の情動体験に関与していることが示唆された。
音楽による情動の神経基盤を理解することは、情動の機構そのものの理解につながるとともに、科学的根拠が不足している音楽療法等に理論的背景をもたらす可能性がある。また、「なぜ音楽は人間を感動させることができるのか」という情動研究は、「なぜ人間は常に音楽と共に生きてきたか」というテーマに通じ、その理解が音楽文化の向上に寄与することが期待される。